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# 変わったこと、変わらないこと(富士市)



今年も残すところあと1ヶ月。1年を振り返ってみると、自分の変化がいくつかあった。

・電車通勤から、車通勤にした

・他人様に読んでもらえるようなエッセイが書けるようになった(と、自分では思っている)

・ブログを始めた …etc

中でも自分が1番「これはすごい!」と思える変化は、好きな色が変わったこと。

今現在、私の好きな色は青。水色から紺色まで幅広く好き。

それまでは、他に選択肢があるならば、出来れば青を選びたくないと思っていた。特に理由はないけれど、青を避けていた。ところが、最近では青い車を見て「きれいだ」とうっとりするし、空を見上げて「青っていいな」と思う。気づくと青いものばかりを手に取るものだから、青い持ち物がどんどん増えていく。なぜ、青が好きになったのかはわからない。自分のことなのに、どうしたのかと首を傾げてしまう変化なのだ。

青色に夢中な、私ならではの発見がある。それは、“富士山は、白い雪を冠って初めて青く見える”ということ!私は、今春から車通勤になり、富士山を日々見られるようになった。秋に入って冠雪をした富士山は、私の中でどストライクな青色に見えた。雪を冠るまでは、富士山の色についてなんとも思っていなかったのに、急に青色に見えたのだ。

今年は、富士山が世界文化遺産に登録された。同じく登録された三保の松原には、連日観光バスが押し寄せている。県外からの観光客は、冠雪前の富士山を目の前に「富士山はどこ?」と探しているそうだ。どうやら、富士山と認識出来ないらしい。その気持ち、わかる。

初めて富士市から見た富士山には、えらく驚いた。

JR富士駅に降り立って、「おおおお…!」と一人で唸った。初めてこれを見て、唸らない人がいるだろうか。

目の前の建物を小さく見せる、でかでかとした富士山。富士山が大きいことは知っている。ええ、もちろん知っていますとも。それにしても、ここから見る富士山は大きい。

静岡市から見るいつもの富士山は、頭の先くらいなのだと思い知る。そのくらいに、スケールが違いすぎる。

擬音で表すならば、静岡市から見る富士山は「どん!」。富士市からの富士山は「ドドーン!」とか「ババーン!」とか漫画で大物が登場したときのよう。

富士市内を車で走っている間も富士山は必ず見えた。商店街も、住宅地でも景色が変わらない。このとき、不思議な錯覚に陥っていた。富士山が、本物に見えないのだ。写真のような、絵のような、平面のもの…。そう、裏に回れば舞台の大道具のように張りぼてになっているのではないかと思える。あまりの大きさに自分の情報処理能力が機能しなくなったのだろうか…?

よそ者の私にとっては、どきどきする存在であったけれど、この土地に住んでいる人にとっては、空を見上げればそこに太陽が在るように、変わることのない当たり前なのだろう。

*****

今年の春にサンフランシスコへ留学した友人が、11月の終わりに突然一時帰国した。様々な事情で滞在期間は10日程しかなかった。

離れてから1年も経っていないし、メールや電話でお互いの近況は知っていた訳だけど、会えることの嬉しさと、少しどきどきした気持ちがあった。

久しぶりに会った彼女は、あちらでの食生活のせいで太ったと言っていたけれど、何も変わっていないように見えた。

けれど、お店で出されるお茶一杯に日本を感じ、ごはんを噛み締め、刺身を1枚ずつ味わい、私の分の天ぷらも美味しそうに平らげた姿に、彼女は異国に居たのだと改めて感じた。

彼女の話では、小さな問題が起きる度に帰りたくなる日本人留学生が居るようだ。「私は、中学生のときから留学することが夢だった。念願叶ってここに来たのだから、そんなことで日本に帰りたいだなんて思ったことがない。」と私の心配をよそに、彼女は逞しく言った。決めたことには一直線に向かう彼女だったけれど、一人で異国の地に行って、より逞しくなった。それが、少し寂しかった。

夕飯を一緒に食べてお腹はいっぱいだったけど、「ご馳走するから」と私は珈琲屋に誘った。時間はあと30分程しかなかったから、入口のすぐ近くの席についた。自動ドアが開く度に冷たい風が入ってくるから、コートを脱がずにいたし、レジのすぐ近くだから、並んでいるお客さんがすぐ近くに立っていた。それでも、何だって構わなかった。こうして共に過ごす時間はもう僅かしかないのだから。

彼女とは、何度この店に訪れたかわからない。私たちは高校生のときと相変わらず、星占いのことや他人の恋愛事情を好き勝手にしゃべり、時に真剣に今後自分がやりたいことを話して時間を過ごした。

彼女は2日後に日本を発つ。けれど、あまりにも一緒にいることが自然に思えて「また、来週も会えそうな気がするね」と言ったら、「そんな気がする」と彼女は答えた。

私たちは、いつだってあの頃に戻れるよね。

| comments(0) | - | 01:49 | category: エッセイ:米澤あす香, 静岡 |
# 今より少しだけ良い毎日を(足久保)



今月の24日に静岡市の足久保で開催される「くらしのこと市」では、スタッフがカフェを開き、土鍋で炊いたご飯を使ったメニューを提供する。

この日の打ち合わせは、土鍋でご飯を炊く練習をし、おにぎりを握ることになっていた。私はカフェのスタッフではないけれど、土鍋ご飯が食べられるということで参加した。

土鍋で炊いたご飯をお櫃に移し、塩と水が用意された。

「じゃあ始めよう」と、スタッフ3人がおにぎりを握り始めた。

目の前の塩と水。手につけるのは、塩が先?水が先?

あれ、今気がついた。私、おにぎりを握ったことがない…?

いや、そんな、おにぎりくらい、握った事、ないはずが、ない、じゃないか。そう言い聞かせながら、記憶を遡る。

思い出したのは、“これくらいの お弁当箱に♪”を歌いながら、エアーおにぎりを握った幼少期。だが、それはカウントには入らない。

ご飯でおにぎりを握った記憶がないことに我ながら愕然としたが、ここまできたらスタッフ達には隠したまま握るしかなかった。料理はしないと公言しているけれど、まさかおにぎりを握ったことがないなんて、言えない。

スタッフのおにぎりを握る手順を横目で見ながら、手を水に濡らし、塩をすり込む。

いざ、おにぎり!

飯碗一杯分のご飯を片手にのせる。熱い、熱い、熱い。

ご飯の真ん中をくぼませて、おかかをのせたいが分量がわからない。熱い、熱い、熱い。

エアーおにぎりを握った経験をもとに、指の付け根を曲げて山をつくり、両手のひらをクロスさせてご飯を包んで握ってみる。ぎゅ。ご飯を半回転させて、ぎゅ。熱い、熱い、熱い。

ご飯が熱くて、半回転させる度に握る大きさが変わってしまい、おにぎりの三角形が定まらない。いびつな形を指でつまんで成形させようとすると、崩れる。当たり前だ。粘土じゃないのだから。

もういいや…。諦めてそっとおにぎりを手から離したら「それ、ぼた餅みたい」とスタッフの一人が言った。

本来だったら上へ伸びる角があるはずが、角になりきれず重力に身を委ねどっしりと佇む。ぼた餅か…。なんの悪気もなく、見たままを言ったのだと思う。否定はしない。

おにぎりを握るくらい、簡単に出来ると思っていた。やってみると、案外難しいものなのだな。

逆に、やってみたら案外簡単だったことは、土鍋でご飯を炊くこと。

当たり前としてやっている人もいるけれど、なんだかまだ特別な気がしていた。特に火加減が面倒くさそうだなと思っていた。

けれど、意外や意外。火加減の調節なしでご飯が炊けてしまう。火にかけてから、土鍋の上蓋の穴から湯気が噴き出して、2分程度経ってから火を止める。目安はあるものの、炊ける時間は土鍋が教えてくれるから、気負いなく炊けるのである。

土鍋の蓋を開けて、湯気と共に炊き上がりを見せたご飯は、一粒、一粒がとてもきれいに見えた。ご飯を見て「きれい」と感想を持ったことなど今までなかったけれど、本当にそう感じた。思わず、お櫃のごはんを口に入れた。

炊けたご飯を見た時に感じた、一粒の存在というものを口の中でも感じる…大げさなようで大げさではない、そのままの感想。

こんなに簡単に土鍋でご飯を炊けるなんて、もっと早く知りたかった。

くらしのこと市は、『うつわのつくり手と使い手と繋がることで、今よりも少しだけ良い毎日をおくれることが出来たら』というコンセプト。

私の母は、それまでうつわを量販店で買っていた。3枚で1000円くらいの良くも悪くもないようなものだった。食卓に並ぶそれらを私も使うので、もうちょっとなんとかならないだろうかと思っていた。でも、母からすれば家族みんなの分を同じデザインで並べたいという気持ちや、家計事情などあるだろう。だから「1枚ずつ気に入ったのを選んだら」とは言えずにいた。

それから、私がARTS&CRAFT静岡のスタッフになり、開催日に遊びに来てくれた。なんと、うつわを1枚買っていた。これを1枚買うなら量販店で6枚くらい買えるのに…。これには驚いた。

そうして、開催の回数を重ねるごとに我が家のうつわが増えている。母は、お気に入りの作家さんも出来て、出展していると必ず手にとるようになった。

母は、作家さんから購入した皿を毎朝パン皿として使っている。しかし、きっとこれはパン皿として作ったものではない。食パンをのせると、少しはみ出るくらいに小さいのだ。

でも母は、「この皿で毎朝パンを食べると、とっても幸せなの」と笑った。


***********************************
 


くらしのこと市とは、

静岡市足久保にある木藝舎・SATOにて行われるARTS&CRAFT静岡主催のうつわを中心とした市。

日々の食卓を彩るうつわのつくり手が集い、使い手と繋がることで、今よりも少しだけ良い毎日が交差する。

うつわのつくり手を中心に、暮らしを彩る道具、素材にこだわった食品を提供するお店も参加を致します。

(年一回開催予定)

http://www.kurakoto.com/index.html

| comments(0) | - | 01:43 | category: エッセイ:米澤あす香, 静岡 |
# 絵描き 清水美紅(静岡市)



当時の清水美紅さんは、髪が胸のところまであった。零れ落ちそうな大きな瞳に、ワンピースから伸びる細長い手足。

彼女は、絵を眺めている女性に「この絵の作者です」と声を掛けた。女性は、「やっぱり。この絵の雰囲気にぴったりだから、そうじゃないかと思っていたの」と言った。

2メートルほどの白い布には、どこか儚げな女の子が描かれていた。

女性の言うことは頷ける。だから、清水さんから感じる強さに、私はギャップを感じずにはいられなかった。
 

*****


絵描きの清水美紅さんは、2011年の秋季ARTS&CRAFT静岡の会場と静岡市の鷹匠町にある『ギャラリーとレンタル暗室 とりこ』の二会場を巡回する『ゆらぎ』展を開いた。

ARTS&CRAFT静岡の会場での『ゆらぎ』展は、清水さんが縦長の長方形の布(縦幅2mと3m、横幅105cm)の白地の布に描いた8枚の絵をロープに水平に吊るして展示したものだった。風が吹くと、1枚、1枚がそれぞれのリズムでゆらぎを見せる。淡い色合いの布がゆれる姿は、人々を立ち止まらせ、誰もが見入っていた。

当時、ARTS&CRAFT静岡のスタッフになったばかりの私は、自らのことを『絵描き』と名乗る人に初めて出会い、清水さんにとても興味があった。清水さんは4つ年上で、住んでいる土地も違うし、なによりも絵について知識の無い私には、なにをどう話し掛ければいいのかわからなかった。私は自分が絵を描かないせいか、絵描きをしている人が自分とは別の世界の人たちだと思っていたのかもしれない。そんな私に、清水さんは気さくに話しかけてくれた。私たちは、自己紹介から始まり他愛のない事を話した。清水さんは、よく笑う、海鮮丼が好きなふつうの女の子であった。すぐに他のスタッフとも馴染み、場に溶け込む人なのだと思った。

ARTS&CRAFT静岡が閉幕し、護國神社で展示された作品が『ギャラリーとレンタル暗室とりこ』にやってきた。ギャラリーという箱に納められた8枚の作品は、屋外で見たものとはまったく別の物に見えた。

屋外では、8枚がひとつの風景として存在していたけれど、ここでは1枚、1枚がそれぞれの物語を私たちに語りかけていた。

私は、展示期間中に何度も『ゆらぎ』展を見にギャラリーに足を運んだ。1日だけ行かなかった日があるのだけれど、あまりにも行き過ぎるとギャラリーの人を驚かせる気がしたという間抜けな理由だった。

頭でっかちだった私は、絵からどんなメッセージがあるのか読み取りたいという気持ちで眺めていた。それは、絵を意識的に見ることを今までしてこなかったから、どう愉しめばいいのかわからなかったのだ。

でも、こうして毎日のように絵を見ていると一番好きな絵が日々変わっていった。そして、こんなに大きな布を部屋の床に広げて、細腕で根気よく描いている清水さんの姿を想像するようになった。

女の子たちが舞っている絵、大輪の花の絵、細かな模様が隅々に描かれた絵…線を描き、色を塗り、無の状態から命を吹き込む絵描きというのは、自分が思っているよりも体育会系なのかもしれない。

当時、私は原画も画集も買ったことすらなかったので、こうして毎日のように絵を見に行く生活というのは不思議であった。ARTS&CRAFT静岡の企画の展示であるとか、清水さんと知り合ったからという理由ではなく、私は絵に会いに行っていた。

清水さんは、在廊していた期間に静岡の人々との新たな出会いもあり、楽しそうであった。しかし、「もっと絵のことについて深く話せる人がいてほしかったかな」とも言っていた。

絵を見ることや絵のある生活は、私自身がそうであるように、静岡の人にはまだ馴染みが薄いと思う。もしかしたら、静岡だけのことではないのかもしれない。清水さんもそれを感じていて、常に向き合っているように見える。

彼女の絵描きとしての揺るぎない覚悟を『ゆらぎ』展のARTBOOKで知った。


「この絵を描きながら思っていたことは、

楽しい楽しいなんて思っていない、

じゃあ、なんで私は描くの?という事です

(中略)

なんで描くかは、「決めたから」

21歳の時に描く事を決めて、

今年の初夏に、「ゆらぎ」をやるのを決めたから。」

『ゆらぎ』(原画=清水美紅 あとがきから一部抜粋)


清水さんは、来月10月に開催される秋季ARTS&CRAFT静岡で、“公開制作”という新たな試みをする。一般的なライブペイティングのように完成したものを見せる目的のパフォーマンスの要素よりも、清水さんの普段の制作風景が見られるこの企画は、2日間掛けて1枚の絵を完成させる。時間とともに変化していく絵、使われる道具、そして彼女のことを見て欲しい。

絵を描き続けると決めた人がいる。

絵と彼女を、ずっと見ていきたい。

| comments(0) | - | 01:41 | category: エッセイ:米澤あす香, 静岡 |
# 24 → 25



「もうあれから5ヶ月経ったんだね。とても早く感じるよ。」と友人が言った。電話の向こうは、サンフランシスコ。日本にいる私は「まだ5ヶ月しか経っていないのか」と思った。

今春に留学をした友人との時差は16時間。こちらがお昼ご飯のときに、あちらでは前日の夕飯どき。活動している時間には相手が寝ていることの方が多いから、1ヶ月に1度、互いの時間を合わせての国際電話もまだまだ慣れないでいる。空も海も繋がっていて、同じ太陽の光を浴びているのに…いや、繋がっているからこその時差ではあるけれど、時差というのは不思議で、それでいてやっかいだ。

昨年の9月、友人は高校を卒業して以来勤めてきた会社を退職した。偶然にも、退職日が私の誕生日だったので、二人で食事をして、互いにお祝いし合った。彼女からは、秋らしい暖かいストールをもらった。留学の準備を始める彼女の表情は、活き活きとしていた。

あの時からもう1年が経つことが早いような、遅いような…。なんとなく感傷的に振り返るのは、彼女が日本にいないことと、自分がまた1つ年を重ねるから。

25歳にもなると、同級生は転職や留学、そして結婚に出産…なかには2人目の子どもの出産を迎えている人や家を建てた人もいる。

母と姉は、たしか24歳で結婚した。子どもの頃に思い描いていた未来予想図では、私は25歳になる頃は結婚をして、子どもがいるはずであった。

小学生の時、理想の夫婦像は高村光太郎夫妻だった。教室の本棚に、詩人で彫刻家である高村光太郎の漫画の伝記があった。私は、読んだ途端に彼の詩人としての才能や妻の智恵子への深い愛情に魅了された。何度も、何度も伝記を読み返し、光太郎のことを知っていくうちに、私が彼に会うことは出来ないとふと気がついたことがあった。その時の愕然とした気持ちは今も覚えている。後に高校、就職の面接試験の「尊敬する人は?」の問いに「高村光太郎」と答えるほどファンになった。

詩『人に』は、智恵子がお見合いをすることになったときに発表した詩だ。

いやなんです

あなたのいってしまふのが—

花より先に実のなるやうな

種より先に芽の出るやうな

夏から春のすぐ来るやうな

そんな理屈に合はない不自然を

どうかしないでゐて下さい

(中略)

いやなんです

あなたのいつてしまふのが—

おまけにお嫁にいくなんて

よその男のこころのままになるなんて

『校本 智恵子抄』(高村光太郎=著 中村稔=編 角川文庫刊)より抜粋
 

この詩の発表後、智恵子はお見合いをせずに光太郎と結婚した。

詩で愛を伝えるなんて、彼は本当に智恵子を愛し、智恵子は彼に愛されて幸せなのだろうなと小学生ながらに思った。

今でも『人に』を読むと当時の光太郎の悲しみで、胸が締め付けられるような気持ちになる。でも、そんな相手がいることが羨ましくもある。

私は、転職をしたことがないし、今まで一度も実家から出たこともない。自分の履歴書が変わらないことに漠然と不安を覚えることもある。でも、履歴書は誰かに見せるものであり、ただ他人の目を気にしているだけなのだと気がついた。

では、一体どういうふうになったら他人の目を気にしなくなるのだろうか。自分の好きなことを仕事に出来たら?結婚したら?子どもが出来たら?…どれを達成しても、また他人を気にすることを繰り返すことになる気がする。

今の自分に満足していなくて「まだ足りない、まだ足りない」と思っているからだろうか。それは、向上心からくる現状の不満足感ではなくて、いまの自分を否定しているようにも思える…。

他人の目を気にせずに自分らしくいるには、そのままの自分を受け入れること…だろうか。これが今の私の答えであり、この答えを25歳のめあてにしようと思う。

20代後半をスタートする私に、パールのネックレスを贈る。パールの似合う女性になろうということでオーダーをした。

5年前の20歳の記念には、初めて腕時計を買った。

メーカーや機能などよくわからないまま店内をうろうろしていると、男性の店員に声を掛けられ、試着してみることにした。

「どちらの腕に着けますか?」と尋ねられた。店員が客の腕に時計を着けるということを、

この時に知った。

美容師やメガネ屋の店員とは、接客の際に距離が近いから恋が始まりやすいと聞いたことがあるが、右腕に時計を着けてもらった私は、うっかり時計屋の店員に恋をした。

うっかり落ちた恋はずるずると一方的に続いたものの、連絡先はおろか、自分の気持ちを伝えることも出来ずになんとなく終わった。

誕生日を迎える度に思い出して懐かしんでいる。

あれから5年が経った。彼はもう、その店には居ない。

私、25歳になりました。

| comments(0) | - | 01:39 | category: エッセイ:米澤あす香, 静岡 |
# センスとサンドウィッチ(静岡市)



7月中旬。午前中と言えど、10時にもなると気温がぐんぐん上がり、歩いているだけでも体力を消耗する。

静岡県立大学の構内には、市民に開放されている芝生公園がある。

広い公園は、青々とした芝生を見ているだけで気持ちがいいので、お弁当を広げて楽しむ家族連れが多いのがわかる。

近くには、県立美術館と県立図書館があるので、多くの人が訪れる場所である。炎天下の中を子どもたちが芝生の上を走り回っていたり、親子でキャッチボールをしていたりと、みんな元気いっぱいだ。

私たちは、11月に静岡市の足久保で開催する「くらしのこと市」のイベント用の撮影をするために芝生公園を訪れた。木陰にシートを敷いて作家さんのうつわとスタッフが持ち寄った食材を並べる。

撮影用にサンドウィッチをひとつ作るように言われ、ドキリとした。

用意されていたのは、パン2種類、トマト、レタス、キュウリ、椎茸、カレー風味の鶏肉の和えもののコロネーションチキン、サラダのように見えるニンジンと甘夏のラペ、椎茸のクリームチーズディップ、自家製のピクルスやブルーベリージャム、バジルソース、木の実のハチミツ漬け、バターなどなど。

この中から食材を選んで、見た目も味もおいしいサンドウィッチを作るには…。パンを持ったままあっちこっちに目が泳ぐ。バターを塗って、キュウリを並べただけではダメだよね…。ひとつひとつの具材がおいしいのだから、きっとそのおいしさが合わさってもおいしいものになる…はずだ。

『色のバランスが良ければ栄養のバランスも良くなる』とよく聞かれるお弁当作りの格言が頭に浮かんだ。今回のサンドウィッチ作りに栄養バランスは特に関係ないけれども、他に手掛かりがない。とりあえず“緑”のレタスを一番下に挟みこんだけど、“赤と黄色”のラペは細切りのニンジンがきれいに納まらずに四苦八苦。ソースはかけると引き立つのか、はたまた台無しにしてしまうのか?そんな上級者向けアイテムには目もくれず、オリーブやキュウリのピクルスを無いよりいいだろうとぎゅうぎゅう奥へ詰め込んだ。そして、私が作ったとわからないように、そっと、うつわへ。

撮影が終わる頃には、誰がどのサンドウィッチを作ったのかよくわからなくなっていたけれど、自分が作ったサンドウィッチは自分で食べたほうがいいと思って食べた。思っていたよりもおいしかった。

「コロネーションチキンと椎茸のクリームチーズディップとバジルソースを組み合わせるとアジアなかんじでおいしい」とあるスタッフが言った。

それらをパンに順番に載せて食べてみた。

3つの素材が1つになり、上手く説明できないけれど口の中が行ったこともない東南アジアになった。

「センスいいなぁ」と思った。

これ、あれに似ている。

クローゼットの中の洋服たちを組み合わせるとき、オシャレな人は色や柄はもちろんのこと、その素材をも組み合わせの一部として気を使うらしい。

“かわいい”をただ組み合わせても、“かわいい”になる訳ではなく、アイテムを全て組み合わせて1つになるものがオシャレなのだ。

私は、服をコーディネイトすることが得意ではないと自覚している。以前は、あるショップの店員さんに全身のコーディネイトを作ってもらっていたこともある。その店員さんとは好みが合うし、背丈も体型もそっくりだったから彼女の提案はいつも私の的を射ていた。

しかし、その店員さんがお店を辞めてしまってからは自分でどうにかしなければならなくなった。辿り着いたのは、スタンダードな“白+色物”というバターにキュウリをのせたサンドウィッチのような定番中の定番スタイル。または、全身を生成り色やベージュ系の同系色で合わせること。私が挿し色を利かせるなんて、ソースを付け足して素材の味を台無しにするようなもので、やろうとも思わない。それは、間違いのないようにするということだけど、それをつまらないと思う人もいるだろう。

料理とオシャレのセンスって似ている気がする。

本屋で松浦弥太郎さんの『センス入門』を手に取った。

「センスのよさは、生きるための切り札」と帯に書いてあって慄いた。センスは、自分が思っている以上に深いものなのかもしれない…。

それでも、最近はもっと良いものを見て、自分の中にあるかもしれないセンスの芽を育てていこうと思い、マガジンハウスの『POPEYE』を購読している。登場しているモデルもファッションもかっこいいのはもちろん、その中でもクスッとするような肩の力が抜けているようなイラストや、女性誌では見られないようなちょっと上から目線の語り口調が面白い。

POPEYEを持ってレジへ向かう。「女性が男性誌読むなんて、ちょっとかっこいいかも?」と、ふと思って背筋を伸ばした。

これ、あれに似ている。

学生のときに、ブランドのバッグや財布を持っているとかっこいいと思っていた。今は、全く興味はないけれど当時は本気で憧れ、働いていた姉にボーナスが入ったときにねだったっけ。センスがどうのこうの言っているのに所有していることがかっこいいと思っていたあの頃と変わってないんだな…。このままでは私、カッコ悪いかも…。

センス入門、しようかな。

| comments(0) | - | 01:36 | category: エッセイ:米澤あす香, 静岡 |
# わたしは、書いていく(藤枝市)



私は、生まれてから24年間ずっと藤枝市に住んでいる。

藤枝市といえば、サッカーの町と言われていて、サッカーの名門の藤枝東高校からは、中山雅史さんや日本代表のキャプテンを務める長谷部誠選手を輩出している。

私の通っていた小学校は、校舎の敷地と運動場の間に川が流れているのが自慢。

もちろん川遊びも出来る。川遊びは、休み時間の長い昼休みと決まっていて、サンダルを履いて足だけ水に入って遊ぶ。時々、尻餅をついてびっしゃりと水に浸かってしまう悲惨な子もいた。

私は、ドッジボールが大好きで、本気で男の子とボールの投げ合いをするようなやんちゃな女の子だった。一方で、本を読むことや作文を書くことが好きで、母に藤枝市立図書館(現:岡出山図書館)へよく連れて行ってもらっていた。

私が小学校三年生のとき、校長先生が全校児童から詩と挿絵を募集して、月に2度『若葉』という詩集プリントの発行を始めた。

子どもの、ものに対する感じ方・考え方が、するどく豊かになってくれることを願い、校長先生が始めた詩の募集だった。

それまで、国語の授業で詩を読んだことはあっても、書いたことはなかった。

詩ってなんだろう。短歌や俳句のように字数や季語の決まりもない。母からは「思ったことを書けばいい」と言われ、それで書ける気がしてきた。

そうして、私の詩作が始まった。

ある時は、父が毎朝飲む珈琲の湯気を見て感じたことを、またある時は、夕焼けの空を見上げて。

気がつかずに通りすぎてしまうような、なんてことのない日常や見慣れた風景をクローズアップする。日々の暮らしの中で感じたことすべてが詩になることを知った。私にとって詩は、場面を切り取ることと同時に“思ったことを書く”もので、私の心そのものを表すものだった。

国語の授業で、詩人で童話作家の工藤直子さんの『のはらうた』を読んだ。そのとき、初めて“詩人”という職業があることを知った。「毎日、こんなに楽しいことが出来るなんて!」と驚いた。

私の詩が学校の詩集に掲載されるたびに嬉しく思い、掲載されないときは悔しい思いをしたからか、創作活動は日に日に増していった。

中学校に進学し、“もの書き”になりたいということを担任の先生に相談した。先生の妹さんがライターをしていて、もの書きという仕事について「すごく大変な職業だよ」と先生は言った。

それまでは、「しょうらいケーキ屋さんになる」などと言うと、大人は決まって応援してくれたが、徐々に“将来”が近づいてきていた当時、私がもの書きになることを誰も応援してくれなかった。

周りにいる大人は、両親か学校の先生だけだった。この人たちに応援されるような道に決めなければ、中学生の私はひとりでは進めなかった。

初めて人生の分岐点に立たされ、私はもの書きになることを諦めた。そうするしかなかったのだ。

それからは高校生になっても詩を書いていた。でも、それは詩というより、ポエムといわれるような恋愛ものだった。どこか現実味を帯びないポエムは、小学生のときに書いていた日々の暮らしに通じるようなものではなかった。今思うと、書くことが現実逃避になっていたのだと思う。

高校卒業後に就職をした私は、詩も文章も書くことはなかった。私は、ポエムを書き溜めたノートを処分して、無かったことにした。中学生の頃、人生の分岐点に立った時に選んだ将来の自分になったつもりで、現実を生きていくことにした。

社会に出てから数年が経ち、ARTS&CRAFT静岡と出合う。

関わっている人たちは、自分の好きなことを責任をもってやっていた。

やりたいことを“実現するもの”として話す作家さんやスタッフを見ていたら、私も自分だけに出来る何かを探したくなった。夜間の学校へ通ったり、転職も考えたりしたけれどなかなかうまくいかない。

「本当は何がしたい?」と自分に問うてみた。

「書くこと」と、すぐに心の奥底から返事が聞こえて、涙が出た。

自分の外側に答えを探しても見つからないのは当然だった。自分で閉じた心の蓋をこじ開けたら、気持ちは変わらずここにあった。

私が書くことを始めたら、エッセイを発表する場を作って下さったCo.&Kokoroneさんをはじめ、まわりの人が応援してくれた。

詩は、小学生からのブランクがあって、まだうまく書けないでいる。

それでも、相手のことを想って書いた詩をプレゼントしたら喜んでもらえた。まずは、一人ずつ、少しずつ他人に読んでもらえるようなものを書きたいと思う。

エッセイを執筆している時間以外の、例えば車を運転しているときのような日常の中で、幸せな気持ちで胸がいっぱいになることがある。遠回りしたように思ったけれど、やっと自分の気持ちに正直になれたことが心底嬉しい。

私は、この気持ちが続く限り書いていくことを決めた。

決めた私は強くなり、もう何にも囚われない。

| comments(0) | - | 01:33 | category: エッセイ:米澤あす香, 静岡 |
# なんとなくの気持ち(長泉町)



ある冬の朝。静岡駅で色とりどりなチラシが視界に入った。

そこには、春があった。

『Sun Day MIKI MOCHIZUKA』展の開催のチラシ。

抽象的な油絵。持塚さんの絵は、ひと筆、ひと筆のかすりが出るくらいに勢いよく描かれているように見えるけれど、そこには、陽だまりのような優しさも見える。

緑の中では蝶が舞い、黄色や紫やピンクの花が咲き、命を支える川が流れている。こんな森がきっと、どこかにある。

毎日、分厚いコートを羽織って、マフラーをぐるぐると巻きつけて、長すぎる冬に飽き飽きしていた。私には、春が必要だった。

展示を開催しているのは、ヴァンジ彫刻庭園美術館。三島市にある『クレマチスの丘』の中にある美術館である。

三島駅まで電車で1時間。三島駅からは、美術館までのシャトルバスが運行されていて、30分近く掛かる。私は、初めて訪れる。

こうして美術館へ行くこと自体も初めてだった。これまで絵を見に行くということとは縁遠い生活をしていたから、少しどきどきしていた。

シャトルバスに乗り込むと、ほかの乗客がアート好きなおしゃれな人たちに見えた。美術館デビューが周りにバレないように、自分の存在感が薄くなっているつもりで小さくなって座席に座った。

美術館に着くと、私はチラシで見た絵の前へ一目散に進んだ。絵を見つけたとき、胸の奥から湧き起る嬉しさで気持ちが高揚し、鼓動の高鳴りを身体で感じた。

チラシで見た印象とはまるで違った。抱えきれないような絵の大きさとダイナミックさに圧倒された。

圧倒されながらも、絵の隅々まで自分の中に吸収したくて間近でじっと見つめた。

筆のかすり、絵具が盛ってあるところ。2、3歩引いて配色のバランス。

また、蝶、鹿、鳥、兎や女の子などが森の中で隠れるように描かれているものや、光がさんさんと降り注いでいる森の中や、闇に包まれた森の絵などが展示されていた。

絵の他に金色のセラミックで作られた動物の彫刻などもあり、彼女の才能にため息が出た。

展示を半分以上見て回ったところで、はたと気がついた。持塚さんは、男性だ。

私は、それまでてっきり女性だと勘違いしていた。しかし、年表を見てそのことを知った後は「この力強い筆使いは男性だよな」と思い直した…。

そして、実は持塚さんとは地元が一緒であったことも知った。

絵の隣には、タイトルと使われている画材が記してあるが、それを見たところで私には気の利いた感想はないし、一体こんなに大きな絵をどうやって描くか想像がつかない。絵具が上から下へと垂れているということは、この絵は立て掛けて描いているの?それとも床に広げるの?

絵について、無知で、持塚さんのことをなにも知らなかった。

それでも、1枚のチラシの中の持塚さんの描いた絵に惹かれてここまで来た。

『好き』という言葉を、中学生の時に辞書で引いたら『なんとなくそちらへ向く気持ち』とあった。辞書を作っている人たちは、どんな話し合いの結果からこの答えを導き出したのだろう。大の大人が自分の好きなものや好きな人を想いながら、考えながら、ああでもないこうでもないと話し合いを重ねたのかな…なんて中学生の私は考えた。

それにしても、『なんとなく』という言葉の曖昧で説得力のなさはなんだろうか…。

でも、わかる気がする。

唐突だけど、私が素敵だなと思う著名人は、あたたかな文章を書かれる文筆家の松浦弥太郎さん、二枚目から三枚目までの幅広い演技をされる俳優の堺雅人さん、そしてどんなときも冷静でニュースを読まれるNHKのアナウンサーの武田真一さん。

一見、まったく違う職業のなにも共通点がなさそうな三人。

だけど、私が好きな彼らには共通点がある。

・笑顔が優しい

・穏やか

・まじめそう

という、「なんとなく、そういう気がする」というなんとも説得力のないものだ。

『好き』に理由はいらないとはよく言ったもので、いらないというよりは、全て『なんとなく』なのかもしれない。

私は、ある時から自分の惹かれるモノに理由付けをするようになった。モノを選ぶセンスのいい人に憧れて、私もそんな風になりたくて訓練のつもりでやっていたが、好きな理由を言葉にすることは簡単なことではなく、悔しかった。でも、この感覚を言葉にできないことは、自然なこと。これで、よかったのだ。

私の中の『なんとなく』の指針の先にあった持塚さんとの出会い。説得力のない気持ちだけど、信じて行けば、さらに先へも導いてくれるだろう。

※『Sun Day MIKI MOCHIZUKA』展は終了しています。

| comments(0) | - | 01:32 | category: エッセイ:米澤あす香, 静岡 |
# 茶畑の風景、これからも(天竜〜沼津)

『夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が見える あれに見えるは茶摘みじゃないか あかねだすきに菅(すげ)の笠

日和つづきの今日此の頃を 心のどかに摘みつつ歌ふ 摘めよ 摘め摘め 摘まねばならぬ 摘まにゃ日本の茶にならぬ』

この『茶摘み』の歌は、出稼ぎに来た娘たちが茶を摘みながら歌ったと言われている。

(たしか、“せっせっせーのよいよいよい”から始まる手遊びでこの歌を歌っていた気がするのだが、『茶摘み』の歌自体は全国的に知られているのだろうか)

2番の歌詞、『摘めよ 摘め摘め 摘まねばならぬ 摘まにゃ日本の茶にならぬ』の歌詞からは、摘んでも摘んでも終わらない、ただ摘み続ける作業の様子と同時に、ただならぬ使命感もが伝わってきて「うんうん、そうなんだよ!」と大きく頷ける。

茶を栽培する茶農家、仕上げ加工をする茶問屋、販売をする小売店は、それぞれ時期は違えど、1カ月程度は休みなく働く。猫の手も借りたいくらいに忙しいので、親類にお茶に関わる人がいるときは、半ば強制的に新茶シーズン最盛期のゴールデンウィークは働き詰めになる。

私の友人は親戚が茶農家なので、小さいときから茶摘みの手伝いをしていたそうだし、私自身も祖母の家がお茶の小売店を営んでいるので、小学生のときからお店の手伝いをしていた。もっとも、私はお小遣いが目当てで手伝っていたのだけれど、祖母たちには「本当に助かるよ」といつも感謝され、重宝されていた。この歌詞の通りに、こうした人々が働かなければ全国に、いや世界中に新茶を届けることは出来ないのだ。

『八十八夜』というのは、立春から数えて八十八日目のことで、今年は5月2日が八十八夜だった。

茶の大敵である霜が降りることが少なくなり、お茶が美味しく飲めることや、この頃に摘んだお茶は栄養が多く含まれており、飲めば1年間無病息災でいられると言われている。

今年は、桜の開花が早かったのと同じように、新芽が伸びるのも早かった。静岡市内の茶市場での新茶初取引は、前年より8日早い、4月15日に開かれた。これは、1956年の茶市場設立以来最も早い初取引となった。

新茶というのは、お米でいう新米と同じことで、今年度産のお茶という意味。

しかし、年中同じ商品が出回っているというわけではなく、火加減だけでも季節に合わせて調整されている。

新茶シーズンの初夏は、フレッシュな青い味、新緑の水色を生かすために火を入れすぎないように、秋から冬は新茶シーズンよりも火を強くすることにより、香ばしく、熟した味に仕上げる。

四季がある日本で、茶職人たちが季節のうつろいに合わせて仕上げ方を変えているのだ。

煎茶は、茶農家が摘んだ生葉を茶工場が荒茶に製造する工程とその後に茶問屋が荒茶を仕上茶に製造する工程の2段階がある。

荒茶の段階で見た目はいつも見慣れている煎茶だが、きれいに形をそろえたり、火を入れ、ブレンドなどの仕上げ作業をしたりして、それぞれの店の個性を出すことをするのでひとつとして同じ商品はない。

“静岡といえばお茶”と言われるくらいに、静岡とお茶の歴史は長い。

しかし、その静岡でも若い人のお茶離れが深刻である。

小学生にお茶を親しんでもらおうと、お茶の淹れ方教室を開いても、家庭に急須が無いから、その場限りで終わってしまうという。

静岡市では、婚姻届を提出した新婚夫婦に急須とお茶をプレゼントしても、お茶のプレゼントは、急須を使わなくても飲めるようなティーバッグ入りを選ぶ人たち。

何とかお茶を若い人たちの身近なものにしようと、お茶を使ったスイーツやお料理を開発したり、茶葉の消費量を増やすために茶業界の方々が試行錯誤で取り組んだりしているのもわかる。だけどお茶は、淹れて飲むことを楽しむものであってほしいと私は願う。

新茶を淹れたときの新緑の水色は、まるで湯呑の中に小さな茶畑があるかのようだし、ひと休みのときに飲むお茶は、凝り固まった心も体もほぐしてくれる。お茶の香りに癒されるとき、「自分はやっぱり日本人だなぁ」と思う。

茶葉を使ったスイーツを作ったら、それと一緒にお茶は飲んでもらえるのだろうか。珈琲ゼリーと珈琲を一緒に飲む人がいるのだろうか。

書店に並んでいる若い人向けの珈琲の本には、珈琲と合うような焼菓子の作り方が掲載されていた。

茶葉を使うことよりも、『これを食べるとお茶が飲みたくなる』というお菓子が出来ればいいなと思う。例えば、きな粉や豆類を使うと和な味わいになり、お茶に合う美味しい焼き菓子が出来るのではないだろうか。

この私の見る茶畑の風景は変わってほしくない。それなら、今までの取り組みを変えていかなければならないのではないのだろうか。

偉そうなことを言う私も、自分のできることから。まずは、このエッセイの発信から茶畑を守ることを始める。

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# OHNO CAMERA WORKS(静岡市)


私は、有名な写真家が撮影した写真を見ても、撮影のテクニックや現像する技術など全くわからないので、いつも被写体に対しての感想しかなかった。

被写体が良いから、この写真集は売れるのでは?と思うことさえあった。

少なくとも、OHNO CAMERA WORKS の大野仁志さんの写真を見るまでは。

大野さんの撮影した写真を初めて見たのは、半年前に開催された秋季ARTS&CRAFT静岡の「PORTRAIT」企画だった。

この企画は、作品や道具などものづくりに関するものと一緒に、その作家さんを会場の護国神社で大野さんが撮影をして、「つくり手とその作品」を表す写真展を開催中に実施したものだった。

PORTRAITの撮影には、私もスタッフとして現場に同行していた。

カメラの前に立った作家さんは、緊張している様子だった。笑顔をつくらないで撮影するので、余計にどうしたらいいのかわからなかったのだと思う。

大野さんが、作家さんに言葉を掛けた。

「カメラのレンズの向こうに、お客様がいて、そのお客様を見るように」

その言葉で、作家さんの表情が見るからに変わったわけではない。

でも、私は見た。作家さんの目の奥が澄んで、心の中にあるブレない芯のようなものが、表情に表れたのを。

出来上がった写真は、人物が浮き出ているようなくっきりとした輪郭を帯び、背景はいつもの護国神社とは、まるで違うように見える。優しい光を感じる、森のようだった。

しん、と静けさがありながらも、作家さんの表情からは意志が感じられるものだった。

「きれい」と思わず声がでた。

きれいなのは、被写体に対してではなく、この写真そのもののことで、どうしてこんなに澄んだ写真を撮れるのかが不思議だった。

これまでの私にとっての写真への考えが変化していった。

*****

私の友人の留学が決まった。さらに彼女は、カリフォルニアの企業に入社試験を受けるという新たな挑戦をすることになった。倍率60倍という難関の中で、自分の英語力を披露する面接の前に、書類試験に通らなければならない。

「証明写真をスタジオで撮りたいのだが、デジタル技術でメイクを合成するような写真屋ばかりで、なかなかいいお店が見つからない」という相談を受けた。

大野さんに撮ってもらうしかないと思い、友人と大野さんのもとを訪ねた。

大野さんは、静岡市の鷹匠町に写真屋とギャラリーとレンタル暗室の『とりこ』を開いている。

事情を話すと、快く相談にのって下さった。

日本と外国の証明写真の常識が違うという話や、撮影を自然光の中で行う提案や、メイクと髪型のことまでアドバイスを頂いて、友人は撮影に臨んだ。

後日、友人に出来上がった写真を見せてもらった。

やわらかな自然光の中で、彼女の表情には、自信が表れていた。ボックスで撮る証明写真と比べては失礼だけれど、私の知る証明写真ではなかった。

大野さんは、彼女に

「自分の信念とか、就職したい気持ちを想像しながら撮りましょう」

「カメラの向こう側に、そこで働いている自分を想像してレンズを見てください」

と、声を掛けたそうだ。彼女の表情があんまりにもいいものだから、写真を1枚もらった。

誰かの証明写真を欲しいと思うなんて、そうそう無いことだ。

そして、彼女は無事に一次の書類試験を通過した。私は、報告を聞いてもあまり驚かなかった。彼女が自己推薦文を頑張って書いたことも知っていたし、なにより大野さんの撮影してくれた写真がお守りみたいに思えて、きっと通ると思っていたから。

友人とは、高校生からの仲で、いつも一緒にいた。就職をしてからも、お互いに夢を持ち、時に励まし合い、楽しいことも辛いことも共有してきた。友人が留学という夢を叶えるときがきたのは、嬉しかったが、寂しい気持ちもあることは嘘じゃなかった。これから2年間会えなくなるので、なにか記念に残ることをしたいと以前から考えていた。そして、大野さんに写真を撮ってもらうことにした。

撮影は、なるべくリラックスした状態でいられるように、ベンチに腰掛け、友人と高校時代の思い出やこれからのことをおしゃべりしながら撮影をした。

最後の撮影で、大野さんが言葉を掛けた。

「10年後のお互いに、メッセージを送るつもりでレンズを見てください」

10年後…想像もつかない未来。

でも、私の口角がゆっくりと、上がっていくのがわかった。

| comments(0) | - | 01:27 | category: エッセイ:米澤あす香, 静岡 |
# 静岡おでん(富士川〜大井川)



うちのおでんが、他県のものと違うらしいと気がついたのは、ここ最近。いや、気がついていなかった訳ではないけれど、はっきりと静岡のおでん文化を意識したことが、今までなかったのだと思う。

4月に開催される春季ARTS&CRAFT静岡の出展作家は、北は北海道、南は福岡県から訪れる。出展以外にも静岡を楽しんでもらい、その人の静岡の風景がひとつでも増えてほしい。静岡らしいものを紹介したいと、調べていたときに「静岡おでん」に行きついたのだった。

「静岡おでんの会」というものがある。戦後50年以上にわたり愛され続け、くらしの中に確実に根付いてきた静岡おでんが、まちおこしの一役を担うことができればと、全国のおでんを集めたおでんフェアを開催したり、家庭でおでん作りを楽しんでもらう、親子おでん教室を開いたりとイベントやPR活動をしている。

静岡おでんとは、どういうものなのかを静岡おでんの会が定めた「静岡おでん五ヶ条」。

其の一、黒はんぺんが入っている

其の二、スープは牛すじの黒いスープ

其の三、タネが串にさしてある

其の四、食べるときに、青のり・だし粉をかける

其の五、駄菓子屋にある

静岡に馴染みのない方には、「???」な五ヶ条だと思うので、ひとつずつ説明します。

まず其の一、黒はんぺんについて。白はんぺんがサメを主原料に、長芋を混ぜているために白色に仕上がるのに対して、黒はんぺんは、サバやイワシを主原料に、皮や骨ごとすり身にしているために黒っぽい色をしている。

形は、分度器のような半円型のものが一般的に販売されている。また、フライや炙りにすれば、酒の肴にぴったりで、居酒屋の定番になっている。

其の二、牛すじの黒いスープについて。特に長年継ぎ足されているお店のスープは、真っ黒に近いし、お店によってそれぞれ特徴がある。

とある居酒屋のおでんは、タネもスープが染み込んで黒くなり、味が濃くしょっぱい。しかし、それがお酒によく合った。

また、とある駄菓子屋のおでんは、真っ黒のスープなのに意外とマイルドで、何本でも食べてしまう味だ。

静岡おでんを愛する人は言う。

「初めて入ったお店には、まずはスープの味を知ることから。それには、蒟蒻を最初に食べるのがいい。なぜなら、蒟蒻には、蒟蒻本来の味が主張しないから、スープの味だけを確かめられるんだ。

ぜひ、覚えておいて頂きたい。

其の三、タネに串が刺してあるのは、お店によって串の先の削り方を変えたり、串の持ち手を色分けして値段を判断できたりすることや、店主でなくても客が自分で選んで取ることが出来るから。

其の四、カツオなどのだし粉と青のりを好みでかけて食べる。

静岡市を挟む清水港と焼津港があるため、こういったカツオのだし粉や黒はんぺんなどの練り製品が静岡おでんのタネになったと思われる。

其の四、駄菓子屋には、おやつ感覚でおでんをおいている。

その場で食べられるお店もあれば、持ち帰りのみのお店もある。

私が子どもの頃は、持ち帰りのみの駄菓子屋へ行っていた。大きなまるい鍋には、いつもおでんが煮てあり、駄菓子屋の当たり前の風景だった。

その場で食べられる駄菓子屋にかき氷があると、温冷を交互に食べるのがツウであったりするらしい。私も温冷を味わってみたい。

静岡の駄菓子屋におでんが必ずある訳ではないけれど、おでんがあることに何の疑問を持ったことがない。むしろ、他県の人に駄菓子屋におでんがあることを驚かれ、こちらもとても驚いたことがある。

この五ヶ条の中で、特に静岡らしいものは、黒はんぺんではないだろうか。静岡では、はんぺんと言ったら黒はんぺんを指す。

静岡おでんに、白はんぺんも入っていなければ、食卓にのぼることも、外食をするときも見たことがない。私は、一度だけ白はんぺんを食べたことがある。コンビニの白はんぺんを高校生の時に友人からひと口もらったことがあるだけ。黒はんぺんの歯ごたえに比べ、あの、ふわっふわな食感に、感激した。

この間、母とコンビニへ行ったときのこと。

おでんの売り場で、白くて、まあるいものが浮かんでいるようだった。その、白くて、まあるいものは、球体を半分に切ったような形に見えるが、全体像まではわからない。箸でつんつんしてみたかったけれど、レジ前のおでん売り場でそれはできない。

あのときに、私が食べたはんぺんとは、形がちがう。

「これ、白はんぺんかな…?」と白くて、まあるいものを指さして、母に尋ねたら、

「そうじゃない…?」と自信がない様子。

「これ、汁を吸ったら沈むのかな…?」と私。

「さあ…?」と首を傾げる母。

白はんぺんがどういうものなのか、母でさえもわからない。

白はんぺんは、浮かんでいるものなのか。それとも、いずれは沈むものなのか。

今でもわからない。

| comments(0) | - | 01:25 | category: エッセイ:米澤あす香, 静岡 |
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