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# いつも 健全で あるように



もうじき、エッセイを書き始めてから365日目が 近づこうとしている。

今年は、あっという間だった。

日々の暮らしを 逃さぬように エッセイに 書き留めた。

そんなに書くことがあるだろうか と思っていたが

ひと月ごとに ネタは尽きぬものだな と我ながら 驚いている。

今月、若田光一さんが宇宙飛行士として日本人で初めて船長となって

今回は アイソン彗星の撮影に 成功したそうだ。


宇宙ステーションは1秒で32kmすすみ、一時間半で地球を一周する。

三時間で二周(二日分)、つまり私たちが地球上で1ヶ月過ごしている間に、

宇宙ステーションの若田さんは、15ヶ月過ごしているような感覚で過ごしていることになる。


なんだか時間のゆがみが訳分からなくなってくるが

同じ時間を、地球の外でそのように過ごしている人が存在している。

ルートを少しずつ変えながら、今日もぐるぐる廻っている。

宇宙の星々の磁力・引力が ある日とんでもなく遥か彼方から

アイソン彗星を 太陽まで引き寄せた。

だが どの引力かが働いて、研究者たちの予測以上に近づいて、

あっという間に ジュワッと 消滅してしまったのである。

長い尾を引く彗星をこの肉眼で見られなかったのは残念だったが。

規模は小さいけれど、また新しい彗星が近づいているそうだ。


ふと、風邪をこじらせた私に また面白い話が耳に入ってきた。

人間の身体を形づくる 全細胞は 60兆個。

そのうちの7000億個は毎日、新陳代謝で入れ替わっている。

7000億も!

細胞レベルで話すと ひとりの人間自体が 宇宙の惑星のように 思えてくる。

彗星のごとく 病原体が 忍び込んで  優秀な 免疫隊が 闘っては 入れ替わっていく。

ぶつかって あるいは 蒸発して 消滅する。

私たちが口にするものを糧に

肝臓では 死んでしまった細胞が また新たに生まれ変わっていく。

心臓が動いている限り 細胞は生と死を繰り返している。

小さなこどもも 青年も 歳をとっていても みんな同じ。

臓器によって細胞のサイクルは違うそうで、

皮膚は 約一ヶ月、腸の細胞は なんと1日。

三ヶ月もすれば、全身の細胞が入れ替わっている というのだ。

わたしはわたしでありながら

季節を 迎えるたびに 三ヶ月前とは物質的に 違うわたしなのだ。

記憶はあっても 細胞自身は良いも悪いも関係なく、すべて入れ替わる。

その度に わたしはやりたいことまでもが 身体から消えてしまわないよう

日々 続けていこうと 思った。

しかし 想いや創造が 身体を忘れて走らぬよう

いつも 健全で あるように

わたしには また会いたいと思える人や景色がある。

すべての出逢いが 次なる創作意欲をかきたててくれていることは間違いない。

ちっぽけか 壮大か 双子座流星群が近々現れる夜空を眺めた。

思っているよりめまぐるしく 世界は廻っているようだ。

来年は いったい どこで どんな出逢いがあるだろう


師走
 

| comments(0) | - | 00:36 | category: エッセイ:白澤知里, 香川 |
# 晴れ 雨 のち くもり 冷たい風に 冬が立つ。



ひなたの工房で 今日は 靴屋

靴といっても にんぎょうの、である

刀鍛冶が作ったという小刀を借りた

いままでカッターで削っていた自分が

ばからしくなるほど さくさくよく切れる

つま先が ぽってり 

かかとにかけて すこし傾斜をつける

関節は 靴屋のムロネくんから もらった革で

細長く切って使う。

しなやかで 強い。

関節には 革が一番だ。

しなりと 傾斜と 前よりの重心で 

うまく 操れれば タップダンスもできる。

― 同じところに 居続けるには 常に変わり続けなければ いけない ―

そばやのおじさんが 教えてくれたことばが 最近頭をぐるぐる巡る。

最初はピンとこなかったのだが、なぜかその時は 手帳に書き留めた。

近頃は もやもや立ち止まってしまったとき ふと 思い出す。

今 変わり続けている途中なのだ と。

靴も 色んな形や素材を試してみた。人形なので、ある程度デフォルメしても

結局、先人たちが創り上げてきた形に 近づいていく。

なんだか 螺旋階段を のぼっているようだ。


木枯らし

 

| comments(0) | - | 00:34 | category: エッセイ:白澤知里, 香川 |
# 秋ですね。いや秋なのか?!

かぼちゃが美味しい季節になってきました。

食卓には、ばあちゃんが最近、毎日のようにかぼちゃの煮付けをだしてきます。

それから、さつまいもをふかしたのやポテトサラダも出て「新米だから」と米もどんどん炊きます。美味しいです。

どういうわけか、おならもよく出るような気がします。ぷー。

今年は、日中まだ27度の「夏日」だとテレビもラジオも言っていました。

保育園の子どもたちとお散歩にでかけると、高い空のずっと向こうから

「ほ〜ら、これでもか。」と太陽がじりじり。

ちょっとっ。これじゃあ夏より焼けているような気がするんですけど?

運動会を終えた子どもたちは、ほんとにこんがり真っ黒け。でも、何か成し遂げた達成感が顔つきをぐっと大人の表情にさせていました。

達成感、最近あったかなぁ…と大人の私(一応)

台風が迫ってくる。無性にそわそわする。でも、かすりもせず通りすぎる。

またやってくる。今度は手前で温帯低気圧。香川ってそういう場所です。

山脈に守られて、雨雲がやってこない。災害といえば、渇水か。

そして、次の台風が来る前に、と黄金色に色づいた稲をそこら中いっせいに

刈り取りがはじまった。

コンバインと脱穀機の音がうなる。空気中が稲のにおい。

夕日のオレンジが透き通って、だんだん濃紺に変わっていく。

夜の帳がおりる頃、鈴虫、コオロギの涼やかな合唱が。

…と、コンコンチキの音が威勢良く鳴り響く!

そう、秋のお祭りのメイン。獅子舞の鐘と太鼓。これも無性にそわそわする。

ああ、私も叩きたい。

コンコンチキ。

小さい頃は、「おとこし(男衆)のするもんだ」といって触らせてもらえず、集会所の隅っこで見るしかできなかった。けれども今考えると、太鼓や鐘を叩くのにも、重たい獅子頭を中腰で操るのも、油単(ゆたん:獅子の胴体部分)をしっかり掲げておくのも、十分な腕力と脚力が必要で、獅子の鼻息が見えそうなほど荒ぶる姿やネコみたいにハミハミ毛づくろうお茶目な落差も、おとこしならではの力強さだなと納得です。

地区ごとに獅子連があって、神社の秋の祭りになると馬場に神輿が祀られ、その前で当番の一組目に続いて、全部で十連の獅子たちが一斉に舞います。

基本のリズムは同じですが、連によって微妙に違いがあるので、鳴り始めは

ガシャンガシャンのばらばらに聞こえます。

耳に身体に音の振動がびりびりきます。

それが、だんだんと呼応するように重なってきて、音と舞いも強く共鳴しあって、

阿吽の呼吸で、
タッタタタ タッタッタン! というリズムでおしまいになります。 皆、ほぅ と一息。

しばし、放心状態。

神輿が夕日に照らされて、ますます金色に光りました。

そうだ。今年が過ぎ行く前に、もうひと頑張りしよう。

夏に負けている場合でなかった。実りの秋がやってきたのだ。

今年も、雷の轟のような、獅子連とは別格の、どーん…どーん…と響く大太鼓と共に、

あの舌をぺろっと出したかわいい大獅子が、勢い良く


神輿にむかって何度も突進しました。

天高く うろこ雲 


*大獅子:『鰐河神社の大獅子』は、力士の枕元に神が立ち、そのお告げにより奉納されたとされ、享保年間(1716年〜1735年)からの歴史がある町指定文化財で、獅子頭が45kg、油単の長さは10mある。

| comments(0) | - | 00:31 | category: エッセイ:白澤知里, 香川 |
# 台風のち ライオン



ぼくは靴になるはずだった

靴になれずに「人形劇作家」とかいう人のところへ託された

「豚革だからやわらかくていいわ〜、ありがとう」とか言って

手のひらでふにふに触る

ある日。

線も引かずに ちゃきちゃきはさみで切り始めた

靴屋とはえらく違うな…いったい何にされるんだ…

次はゴムのりとかいうぬちゃぬちゃしたのを身体にぬられた

ちょっとひんやりすーすーするなとか思ってると

すかさず、ぎゅーっと押し付けてきた

…くっついたみたいだ

違う場所にもぬちゃぬちゃ、ぎゅーっ

刻まれた他の革も貼りついてくる

そしてマジックペンでぐりぐり…

そ ん な!

「よし、できた」

そういって手をとめた

靴じゃなくていったい何に?

おもむろに人間の指に入れられて、ぼくはなんと動けるんだそうです

この前は小さな赤ちゃんを驚かせてやりました

目をくりるりさせて驚いてましたよ!

ぼくは りっぱなライオンになりました

中秋 満ちる月

| comments(0) | - | 00:28 | category: エッセイ:白澤知里, 香川 |
# 3 8 . 2 ℃



撮影  / シライヒロキ


東京都神宮前のロバミュージアムから、うどん県に降り立って

もあん と暑い空気を浴びた。

記録的な酷暑。 朝も昼も夜も、もあん としている。

エアコンつけて つめたい床に体をころがせる。


脳みそが ポヨンポヨンである。

「コレハ イッタイ ドウシタ ワケヤ。」

お盆に差しかかろうとしているのに、蝉がけたたましく鳴く。

部屋から一歩外にでれば、数分と経たないうちに汗がじんわり。

そこでふと、以前演じた人形劇の場面が浮かび、登場人物が頭の中を走り回り、

台詞をつぶやいて去っていった。

暗闇の中をひゅーっと昇って、はじける花火。

もしくは、遠すぎて見えないけどそこにあっていきなり閃光を放つ流星群。

台詞や映像が脳裏に現れる瞬間ってこんな感じなのだろうか

こんな風にだれかの記憶の海にしずんで

ときおり、浮かび上がってこられたら

存在していた証拠

そんなものを、つくりだせたら とおもう

ぐでぐでのコシのないスーパーのうどんのようになっても

私はまだ「何かつくりたい」と思っているのか。

のそのそと体を起こし、その気持ちと向き合うことにした。

残暑。

                           

| comments(0) | - | 00:24 | category: エッセイ:白澤知里, 香川 |
# サーカスと人形劇


撮影/R

撮影/Shinsuke Inoue


人形劇が 外 に出た。

外、というのは屋外もしくは県外のことである。

日本では昔から、神楽、でこまわしに見られるように

神社の舞台、境内、家の軒先など屋外に開けた空間で

やおよろずの神々への感謝の舞が人形劇の始まりと言われている。

一方、現代人形劇のイメージは、というと部屋やホールの窓に

暗幕をひいて暗くし、照明をたいて雰囲気をつくりだす。

まさにその現代人形劇の中にいた私にとって外で演じるということは画期的なことだった。

仕切られた部屋の中は、天候に左右されることを気にせず、異空間を演出する面白さがあるが、

外に開けた空間は、その外の雄大さに負けないような印象を打ち出すことが必要になってくるのだろう。

去年の十一月の瀬戸内工芸祭での野外パフォーマンスでその機会が私にも巡ってきた。

人形というよりオブジェを意識した白くて細長い三本の物体を操った。

(香川という土地柄か「あ、うどんがきた!」と言われてしまったが…)

それに続いて、ジャグリングと人形劇と楽器を生演奏するサーカス団をつくろう!という動きにも参加することになった。

それぞれのジャンルで何ができるかを持ち寄り、話し合い。

とにかく観てくれる子供たちやお客さんたちが「あっ」と驚くようなことを…

…そうだ。人形劇は人間では表現しきれない部分を膨らませることができるんだった、と思い出した。

私はつい「サーカスといえばライオン…」とつぶやいてしまっていた。

すかさず誰かが「そんなのあるの?それ、いいねぇ〜」と相づちをうつ。

…しまった。

数年前に経験した「新☆三銃士」の打ち合わせが頭をよぎった。

打ち合わせでつい口にしたことが拾われて、採用になった後の、あの創作と時間との闘い。。。

意見を言う時は慎重に、とあれほど身に染みたのにっ。


言ってしまったものは仕方がない。面白そうだからやるしかないのだ。

約三十分の中でライオンの出番は二回。

絵本[ライオンとネズミ]をもじったストーリーがジャグリングの合間に展開する。

最大の見せ場は、ライオン遣い(私)がじゃれあう勢いでライオンのおでこの毛を大量にむしりとってしまう。

驚きのあまり、仲間のジャグラーに
その毛を投げつける。

びくびくしたまま毛を持つジャグラー達を
怒り狂ったライオンが追いかけ回す、というシーン。

怒っても、全く怖くない顔なのだが、ほぼ等身大のライオンが勢いで

「ガウガウっ!」と突進すると「きゃあーっ!」とのけぞる子供たち。

予想外の子供たちの応援の声を浴びながら、屋外の開放感と生で繰り広げられる音楽でライオンの動きが更に大胆になった。

これは、一人で創って室内で演じる時には体感できなかった感覚だった。

誰かと一から何かを創り上げるとき、色んな意見が混ざりあう。

楽しさや苦さが積み重なって、本番の面白さにつながる。

場所は、京都のとある保育園、神戸北野異人館の円形広場、

そして高松市の四番町スクエアの芝生広場(元四番町小学校)で公演した。

劇団に居た時は、県外へ上演しにいくのはあたりまえの感じだったが、

地元へ戻ってきて、また新たな「サーカス」というジャンルと共に

県外へ出向いていく風景は違ってみえた。

どう違っているかは、上手く言葉にできないけれど。

出逢いが想像しきれない何かを生み出していることだけは間違いない。

今度はどんな人たちに出逢えるのだろう。


梅雨明け 蝉が鳴く。 

 

| comments(0) | - | 00:20 | category: エッセイ:白澤知里, 香川 |
# 溢れ出す季節


道端の雑草たちが 一雨ごとに こんもりと

かわいらしい花を ちりばめる

もぞもぞ ひらひら ぶぃーん ころころ ぴょこり

小さな虫たちも 動き始めた

朝陽とともに小鳥たちが そこかしこでさえずり

夕暮れとともに カエルたちの大合唱

夜になれば ホタルの光も涼しげにとおる

田植えされた水面が 

さざなみをたてながら 鏡のように空を映す

あぜ道をはさんで反対側は

まっすぐ空に向かってのびた 黄金色の麦が そよそよと揺れている

山々の緑は いっそう 深く、濃くなってゆく

いのちが溢れ出す季節が めぐってきたのだ

梅の実がなるちょうど今頃に わたしも うまれた

これは 考えてもどうしようもないことかもしれないが

保育園で五歳児以下の子供たちにまみれていると

ときどき 自分の子供時代の記憶が 重なってみえて

当たり前だが その子たちの親は私と同世代で 

子供側にも 親側にもいない自分が 現実にいて

ふと 私がうまれていない世界に タイムトリップしているような…

とくに 自分がうまれた季節がくるたびに思う。

わたしが 居なければ どんな世界だったか

わたしが 居れば どんな世界か

景色は 昔と今とそれほど 変化のないように 見えるが

私の 周りにいる人々は ずいぶん 変わった。

今日も こどもじかんに 自分の歩調を 合わせてみる。

一緒に歩いていると なおさら 

誰ひとり 同じ歩きをしていないことに 気づく

時々友達に合わせながら この癖のまま 

おとなになっていくのだろうか

動くことが 楽しくて しかたがない

おさんぽで たくさん 歩いて 汗だくで 

それでも もっと 遊びたい

お昼寝するのが もったいない

そうして一日が あっという間に 過ぎていく

まだ身体に残る こどもたちの熱気

おとなになった今でも 同じくワクワクするような 日々がある。

ひとしきり 走ったあとは ゆるゆると普段の自分に戻す。

なかなか戻れない そんな時は 

ちょっと車を 走らせて

穏やかな瀬戸内海を 眺めに行く

混沌とした頭を からっぽにするのだ

いまごろは

霞が うっすら

静かで 穏やかな海に 島なみ

船舶が ゆっくりと 港を 往来する

すべてが 青灰色の 濃淡

空と 海の 境目も 

あいまいに

またひとつ どこかで

いのちが うまれている


梅雨。
 

| comments(0) | - | 00:05 | category: エッセイ:白澤知里, 香川 |
# ひもで あそぶ



ひもであそんだ

赤、青、黄、緑、白の色のひも

ぶんぶん ふらふら ぐるぐる ぴーん


はさみを使って切ったひも

自分で切ったらわくわくするね

ともだちは頭に巻いてはちまき。お店屋さんみたいだね

ぼくは 数字の1を見つけたよ

わたしは おヒゲが生えちゃった

次に出てきた長いひも くるっと結んで大きな輪っか 「ぽっぽー!発車しまーす。」 大きな大きな汽車ができた

どこからともなく踏切役が。車掌役は私が。 お客さんが乗ったら 「しゅっぱつしんこう!」 ゆっくりお部屋をまわるうち、赤いひもをふりまわし 「火事です、火事です!大変です!」 「消防車を呼ばなくちゃ」 消防士役が登場し、「水がきました、ぶしゅー!」 ひも一本があっという間に早変わり、次々に物語が進みます。

さあさ、終点。作ってあっためがねにひもをつけよう。

穴にひもを通して、くるくる2回結びます。

たっぷり遊んだおかげで、ひもをつけるのはあっという間。

達成感で満たされた顔は、今日の天気のように晴れやかでした。

次はこれをもって、探検だ。

何が発見できるかな。

 

| comments(0) | - | 00:02 | category: エッセイ:白澤知里, 香川 |
# 没 頭 し て し ま う ほ ど 好 き な こ と

子供は気がそれているのではない、そこに集中しているのだと思うことがある。

時間はマチマチだが、一心に集中している。

わたしが つい目で追ってしまう子がいるのだが、

その子はいつもウロチョロしていて「落ちつきなさい」と先生に叱られている場面をよく見かける。

彼がどうしてそういう行動にでるのか、彼にそっと聞いてみると、

彼は今考えていることを、とても落ちついた話しぶりで答えてくれた。

時には空想の物語を語り始めることもあって、それがどの瞬間に生まれてくるのか、かなり興味深い。

彼によると、気になることがたくさん目に入ってくるようなのだ。

気になることを発見したとき、その場所まで行ってふむふむと考える。考えていると、また違うことが目に飛び込んできて、そこでまたふむふむと考える。

…という具合に、結果的に人にはウロチョロしているように見えてしまっていたようなのだ。

保育園という集団活動の中で、彼のように自由に気の向くまま集中することが「はぐれもの」のような存在になることだけはあってほしくない。

幸い彼は、おおらかな性格なのでクラスのムードメーカーのようである。

しかし彼自身、大人になってゆく前に「集団の中のひとりなのだ」ということを少しづつ認識しなくてはいけないとも思うが、彼は没頭するほど好きなこと・面白いことを見つけるのが得意なのだ。

素晴らしい集中力。そして瞬時に喜びや哀しみを全身で表現していく。

またその姿がとても魅力的なのである。

感情を解放して身体で表現する。

ことばより先に身体が語る。

それこそが、子供の最大の人を惹きつける力なのだろう。

身体表現にはじまり、歌を歌ったり、絵をかいたり、走ったり、お気に入りのものを集めたり、他にも様々なジャンルを分けることなくすべて感情表現のひとつなのだと、気づかされる。

ひょっとしたら、没頭してしまうほど好きなことが、自分を解放するきっかけをくれるのかもしれない。

子供たちほどまっすぐに解放できたら、どんな世界がみえるのだろう。

四月。

| comments(0) | - | 00:00 | category: エッセイ:白澤知里, 香川 |
# は る は あ け ぼ の



予報よりも先に身体が反応する。

むずむずして、くしゃみの連発。

目がごろごろするも、かくのをがまん…

…あぁ、困った。何も考えられないのである。

私は眼鏡をかけてマスクをし、うっとおしく下がる髪をたばね

子供たちに会いにいく。

「せんせい、なんできょうはメガネなん?」

「え?うん、ちょっとね。」

「マスクもして、お風邪でもひいたん?」

「風邪じゃないんだけどね、くしゃみが止まらないからね。」

「あ!メガネとマスクしとる◯◯ちゃんとおなじやね!」

「あ、ほんとだ。同じだねぇ。」

“同じ”と言われた女の子は恥ずかしそうに

メガネとマスクを触ってみている。

それを見ておもわず、私の顔もほころんでいた。

毎年、この時期になると年長さんクラスが思い出の品々を

作る日々が続く。

こちらは「あと何日か」と数を数えて切ない気持ちでありながら、

時折子供たちが話してくれる小学校への憧れや

こんなことができるようになった、と嬉しそうに話す姿や

◯◯くんや◯◯ちゃんが好きだの、ちょっと甘酸っぱい話も聞けて、

一緒に希望をふくらませては、わくわくした気分も味わっている。

それはまさに春のつぼみに似ている。

ある環境にさらされながら固く閉じたつぼみは

暖かな日々でじわじわとふくらんで そして

春になれば、必ず

ぱっと花を咲かせる。

子供たちは特に エネルギーに満ちあふれ、輝く。

小学校一年生になる彼らに思いを寄せて活動報告書を綴りながら

私もまた、次の一年へと気持ちを切り替えていくのである。

春。

| comments(0) | - | 00:13 | category: エッセイ:白澤知里, 香川 |
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